吉川 靖・「随想」

10.秋澤信禎氏を悼む 

  2015年4月4日秋澤信禎氏が逝去された。私が日本水彩画会の研究所に通い始めてから知り合って親しくさせていただいた。いかにも温厚、
 誠実でユーモアがあり周りを和ませてくれるお人柄であった。私よりひとつ年上とお聞きしたように思う。小柄だが凛とした立ち居振る舞いをされた。
 特に私には親しく声をかけていただき研究所の帰りに中華料理店で紹興酒など飲みながら絵の話をした。彼は決して人を不快にさせるような
 言動をすることがなく、いつも楽しい時間を過ごすことが出来た。
  プライベートなことを話されることは少なかったが、現役時代は高い社会的地位におられたようで部下の方々の信頼も厚かったようだ。
 また茶道や書道といった分野にも精通されておられるようだった。手紙やはがきなどを何度かいただいたが、その書体や文章はその教養や
 お人柄がよく現れていた。
  病を得て研究所でお会いすることも少なくなってからしばらく後、2014年の秋ころだった。2015年の日本水彩展にむけて80号の作品を制作
 するので相談に乗ってほしい旨のメールをいただいた。そして待ち合わせの料亭に出向くことになったが、彼の丁寧な案内メールもそこそこに
 読んだ私は十分な時間的余裕があったにもかかわらず、勝手な思い込みで行動したため30分ほど遅刻してしまった。今考えてもやきもきされた
 と思うと申し訳なさ、自分の迂闊さを恥じた。だがいやな顔ひとつみせない彼と、なんとか合流できて一緒にビールをのみ、昼食をいただきながら
 以前と同じように楽しいひと時を過ごした。
  逝去された日の夜、奥様から電話をいただいた。奥様とは面識もお話もしたことがなく、晩酌後でうとうとしていた私には最初よく聞き取れず
 なんの電話かよく分からなかったが、そのうちやっと秋澤さんのことと気が付いた。生前短いお付き合いではあったが、奥様に知らせるように
 言われたその律儀さ、誠実さ。あくまで人を大切にするその人柄に改めて胸をうたれた。そして仏壇の前で合掌し黙祷をささげた。他になにが
 できるだろう。せめて彼の絶筆となった作品(写真)とともに彼への思いをここに記録しておきたい。この作品は2014年第102回日本水彩展に
 発表、公にされたものなのでお許しいただけるものと思う。                                           


             
               「燈火親しむ頃」  水彩  60号    秋澤信禎     2014年 
                                                                                 


 

  

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