吉川 靖・「随想」

11.安保法案成立 

 
  2015年7月16日安保法案が事実上成立することになった。違憲の疑いが濃厚で国民の理解が得られていないし反対が圧倒的多数という
 状況のなかでの成立である。安倍首相自身がこの状況を認めたうえでのことだ。安倍氏は半世紀前の安保条約時と同じことでいずれ国民は
 認めるはずだ、という。このような強引な考え方や事の進め方でよいのか。民主党政権下で決められない政治に苛立ったが、その間逆も危
 うさを感じてしまう。
  今回の法案の焦点は集団的自衛権の行使を可能にするという点にあるようで、(他の関連法案のことはよく分からないが)私もこの点が一番
 気になる。つまり日本が米国の戦争に巻き込まれるのではないかということで、反対世論が多いのもそこの不安が払拭されない点にあると思う。
 さらに言えば安倍政権に対する不信感が根っこにあると思う。なぜ信用できないのか。
  集団的自衛権の問題は合法性と必要性に集約される。前者については今まで違憲と言ってきたものをあっさり合憲と言い出したことや今
 までの米国追随の政治姿勢、後者の必要性については多くの人を納得させる説明ができていないことがある。

 ・集団的自衛権の違憲性
  多くの有識者が違憲だという。高村副総裁自身が過去において集団的自衛権は違憲と言っていたが、そこを突かれた彼は「国際情勢の変
 化」によって憲法解釈の変更が必要になり、その結果合憲になったという。状況の変化で違憲だったものが合憲に変わるという。これを正確に
 言えば本来違憲ではあるが状況の変化により国の運営上必要になったので実施しなければならない。法の支配を国是とする以上これを為政者
 が違憲のままでは具合が悪いので「合憲」として扱うことにした、ということである。つまり法の安定性よりも国防の必要性を優先したいので、無
 理やりでも合憲ということにするということだ。そこで持ち出してきた論理が集団的自衛権を「限定的」なものと「フルスペック」の二つに分けると
 いうものだ。従来は分けずに全部違憲としてきたので本来は限定的であっても違憲のはずだが、なんとか実施できるようにしたいためにひねり
 出した苦肉の案だ。これが通ればこんどは「限定的」を拡大しいずれはフルスペックも合憲、の道が開ける。
  本来為政者も憲法の制約を受ける(立憲主義)はずだが、憲法を改正している余裕がないので強引ではあるが通してしまうのだ。憲法の番人
 の裁判官も為政者に「違憲だからやってはいけない」とはなかなか言えないというのが過去の裁判であった。そこを見透かしたうえでのことだ
 ろう。
  もともと自民党は今の憲法での国防に否定的で「何がなんでも今の憲法下で国を守るという強い意思はなく、一刻も早く改憲したいと考えて
 いる。そのような政権だから今回の事態になっている。

 ・集団的自衛権の必要性
  集団的自衛権とは米国などの戦争に第三国である日本が参戦する権利のことで、米国が受ける攻撃が日本の存立を危うくすることが予想さ
 れる場合に参戦するケースを「限定的」と称して合憲としている。そしてその判断は時の政権が合理的、総合的に行うという。日本周辺に地域を
 限定することもないので米国が全世界で行うものが対象になる。
  日本が攻撃されてもいないのに「存立危機」になるのはどのような場合なのか。存立危機の判断基準はなにか。経済的打撃だとしたらどの程度
 か、日本人の生命が危ない場合その人数はどの程度か。なにも基準がない。ペルシャ湾の機雷除去の話があった。たしかにそこが封鎖されたら
 困る。しかしそのような弱点は原油輸入先の多角化やバイパスルートの開発や石油依存の軽減や平時から様々な非軍事的対策を打っておく
 のが現憲法下の政治力というものだろう。その上イランが自国の首を絞めるような湾の封鎖という暴挙に出ることは考えにくいし、万一そうなっても
 国際敵な枠組みでの対応に日本も協力するということで、日本防衛のための自衛権発動とは別枠で考えればよい。
  朝鮮半島有事の際の米国艦船による邦人救出の話がある。日米安保条約下での周辺事態ということで現行憲法下の個別的自衛権で対処
 できるのではないか。もっと説得力のあるケースはなにか。もしあるとして平時からの非軍事的政策で対処できないのか。なにがなんでも集団的
 自衛権=合憲、行使可能という風穴を開けたいという意図を感じるし、そのほんとうの狙いはなにか。疑念を持たざるをえない。
 
  日本は専守防衛という概念を持ち込み、自衛隊という戦力をつくってきた。個人レベルで考えれば正等防衛論だ。そして国民もそれを受け入れ
 てきた。当初は自衛隊違憲論が根強くあったが、自衛隊の自制的運用の積み重ねがあった結果だと思う。安保条約も米国との軍事同盟で米国
 の戦争に巻き込まれるという心配があり、反対論があった。安倍氏のいうとおりその後の自衛隊の自制的運用もあって反対論は陰をひそめた。
  しかし日本は米国のベトナム戦争で日本の米軍基地が利用されたし、イラク戦争でも一定の協力をした。これらの戦争は「誤った戦争」という
 歴史的評価がありそれに日本が消極的ではあっても加担したという一定の責任があるのではないか。ドイツはイラク戦争に反対したが日本は
 いち早く支持した。つまり日米安保で「巻き込まれ」があったわけで手放しで肯定されるわけではない。ただそのへんの反省は日本国民のなかで
 深められることはなかっただけだ。しかし日米安保条約が認知されたというのは安倍氏のいうとおりではある。
  今回の集団的自衛権容認という事態は安倍氏のいうとおり国民にうけいれられるようになるのかどうか。自分が攻撃されていないのに他国の
 軍隊を援助、参戦するということで、専守防衛=正当防衛の考えを超える国防思想の大転換に道を開くものになる。つまり米国の戦争にいままで
 より積極的にかつ軍事的にかかわっていくというのがこの安保法案の眼目と思われるからだ。したがって今までより非常に危険な状況が生まれる
 可能性がある。国力の相対的衰退が言われる米国の補完勢力を目指す日本が、米国の戦争協力要請に「ノー」を言えるとはとても思えない。
 安倍氏は米国の戦争に巻き込まれることは「絶対」にない、とTVのなかで言っていたが、いままでの日本政府の言動から、にはかに信じることは
 できない。
  今回の安保法制の賛否の分岐点は安倍氏の言うことが信用できるか、出来ないか、法律に歯止めが確保できているか否かの判断であろう。

 ・安保法制賛成派の論理に対して
  1)日本が武力行使をする際の「歯止め」がしっかりしている?
   法律には「日本の存立危機」という文言があり政府が総合的、合理的に判断するという。しかし具体的なことはあいまいにしておくのが安全
  保障上必要だという。つまりその解釈は時の政府の裁量によって決めるというのだから「歯止め」としては弱い。今後の政府の運用次第だが
  非常に危険な一歩を踏み出したといえる。つまり従来の「歯止め」は自国に対する武力攻撃という現象がポイントなのに対し今回は政府の判断
  であるから過ちを犯す可能性がどうしても残る。事は戦争という重大事案である。
  2)解釈改憲はゆるされる?
   憲法は時代が変われば解釈を変えてもいいという論理では憲法は形骸化する。TVで有識者のひとりが過去にも解釈改憲したことがあり結果
  的に許容された実績があるから今回も許される、という旨の発言をしていた。本来は時代にあわないのならば改憲するというのが当たり前の
  論理で、過去の変則実績を正当化の根拠にするというのは本来のあるべき形をないがしろにするものだ。
  3)安全保障環境が変わり一国のみで自国の防衛はできなくなった?
   安保条約のときも同じことを言っていたと思うので今始まったことではないが、中国や北朝鮮の軍事的台頭は確かに脅威である。現実的に
  米国に頼らざるを得ないし、その安保条約を有効なものとして維持する必要がある。ここまでは賛成派と同じだろう。賛成派はそのためには日本
  の軍事的貢献が必要だということか。あるいは北朝鮮のミサイルや核の開発状況から米国防衛の前線的役割を秘密裡に要求されたのか。
  そのあたりのことは想像の域を出ないが可能性はある。しかし米国はアジアでの存在力を維持するという自国の国益のために日本と安保条約を
  結び基地を沖縄はじめ全国に展開し空もかなり自由に使い日本の経済的援助も得ている。日本は現代にはめずらしいほど属国なみの負担を強い
  られている。その上のことだ。今でも十分貢献や負担をしていると思う。解釈改憲で憲法の制約が無くなれば要求がエスカレートし、かつ断れなく
  なる可能性が増す。
  4)抑止力が高まりより安全になる?
   日本の武力行使がしやすくなれば相手が警戒して手出しがしにくくなることはあり得る。しかし米国の戦争に加担することで攻撃される危険性が
  高まることもある。つまり相手次第で安全も危険も両方あり得るわけで、武力行使の機会が増えれば危険が増すと考えるほうが順当だと思う。
  特に米国という国は武力使用に対する考え方は日本とはかなり違い先制攻撃も行うし、武力で問題を解決することのハードルは日本より低い
  のは確かだ。そのような国の軍事的補完をする方向に国の舵をきろうとしている。
   専守防衛というものではもはや自国の防衛は出来ないというのが安倍政権の判断だということなのか。中国と朝鮮の脅威への対応であれば
  日本周辺での自国防衛でありそこでの米国との軍事協力は個別的自衛権の範囲と考えていいのではないか。地域を世界に広げ米国など他国
  との軍事協力に道を開く集団的自衛権を可能にするということは専守防衛という箍(たが)を外したいという意図が見える。安全保障政策の大転
  換である。

  ・中国の軍事的脅威への対応
    今回の安保法制の整備がが中国と朝鮮の軍事的脅威の増大に備えるためであればその必要性は否定できない。だが地域限定なしに米軍の
   補完を可能にする集団的自衛権に踏み込むことには賛成できないし、自国防衛のためであればその必要もないと考える。個別的自衛権で米国
   との協力で自国防衛力を充実させることとし、あくまで自国防衛に限定するべきだと考える。

  ・国際貢献
   PKOやソマリア海賊対応など国際の活動に日本の自衛隊が活動を行うというのは必要なことだ。これについては米国に対する補完とは区別して
  もよい。国連に対するお手伝いと、対米国とは違う。米国は世界の警察を自認するが間違いも犯す。国連の場合は(常に正しいとは限らないが)
  米国一国より信用できると思う。ペルシャ湾も含めたシーレーンの安全確保なども国連活動として日本も積極的に貢献するべきだ。これらは自国
  防衛の集団的自衛とは別の国際貢献として法制化すればよい。国際協調は現憲法の趣旨にも合うものでかなりのことが出来るはずだ。

   
   この法律が発効したからといって、すぐ何かが起きるということはないとは思うが今後の運用を注視しなければならない。


 

  

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