吉川 靖・「雑感」

2.2006年9月 中、韓の反日

 1.アジア諸国の対日感情
    2006年9月4日付読売新聞に「東南アジア・インド」での韓国日報、ギャラップと同新聞社との共同世論調査の結果が掲載された。絵とは直接
  関係はないが、中、韓の反日の原因や対応について、これを機に日ごろ感じていたことを書きます。
    彼らの反日感情は普段は深く沈潜し、何かのきっかけで激しく表に噴出す。そのような状況が過去になんども起き、われわれ日本人を強く刺激
  する。政府首脳同士が会談する場合は決まって毎回「先の戦争や植民地支配に対する謝罪」を要求される。半世紀も前のことに関し繰り返し延々と
  続くこのような状況は中、韓のみの異常なことだ。なぜこうなるのか、どう対処すべきなのか。

    調査対象国は日本、インドネシア、タイ、ベトナム、マレーシア、インド、韓国の7個国。興味深いのはそれらの国(日本以外)の対日感情である。
  日本によい印象をもつ人は韓国以外では90%以上なのに対し韓国だけは逆には80%の人が悪いと答えている。以前の別の報道で(確かイギリス
  の調査ではなかったかと思う)国際社会でよい影響を与えている国のランキングで日本が2番。各国の対日評価は高い。しかし中国と韓国のみが
  対日評価が最低だった、という。なお本調査は「読売新聞」が気にいらないという理由で中国は調査を拒否したそうである。なんたる人治主義か。
  
 2.中、韓の反日の原因
    中、韓の反日の原因についてはいろいろな分析がある。私はアジアの中で中、韓のみが日本に対してとるこの高圧的で執拗な加虐的態度の根
  源には中国人、韓国(朝鮮)人のもつ中華思想あるいは小中華思想とよばれる民族意識、さらにそれと結びついたコンプレックスがあると思っている。
    それは中国民族が文化的に世界でもっとも優れた民族であり、他民族(少なくとも周辺の)は服従すべき存在である。朝鮮はそれに準ずる正当な
  後継民族である、というなんとも傲慢で前近代的な思想である。日本人にも近代化が先行したことでアジア諸国に対し優越意識や傲慢さがあったのは
  事実だし、また他の民族も多かれ少なかれ差別意識はあるものだが、長い歴史で培われたこの中華思想は彼の国の人々の深層意識に根強く生きて
  いるように思われる。また近年は中、韓の国力増大にともなう自信回復によってこれがふたたび活性化しつつあるのかもしれない。
    彼らの反日活動の契機の多くは具体的実害より「心を傷つけられた」という類のものだ。靖国、教科書、国連常任理事国、現地企業の広告、在留
  日本人の態度、日本の政治家の発言・・・。つまり「民族的自尊心」の問題であり、その根底には中華思想という民族的優越意識が潜んでいる。
    優越した民族が劣等民族にやられた。しかもそれを自らの力で負かすことが出来なかった。この屈辱感は半端ではなかろう。民族的怨念となって
  意識上にあるいは意識下にとどまり、為政者の政治や教育あるいはマスコミを通じ再生産され次世代に受け継がれていく。
    憎しみは理解できる。しかしこれが何世代にもわたって続くところに他のアジア諸国との際立った違いがある。細かくみれば彼我双方にいろいろな
  原因がありうるが、彼らの特殊な民族意識以外にこの「異常さ」を説明できるものはないように思われる。
    この「歴史認識」は半世紀以上も経てば本来歴史家の研究課題である。それを彼らは「現在」の外交カードとして使う。「謝罪」にしても日本がいくら
  誠意をつくして謝っても決して認めようとはしない。過去に一部の閣僚が政府の公式見解と合わない発言をしたことがある。これは確かによくないし、
  またそれら全てのケースでその閣僚らは処分されている。それにもかかわらず彼らは公式見解や国民世論よりも違反発言を理由に「謝罪」は偽りだと
  いう。また戦後日本が行った中、韓に対する経済協力や諸々の貢献も自国民に知らせないなど、過小に評価する傾向がある。これらのことは日本を
  非難する材料としていつまでも温存しておきたい、手放したくないという意識の表れであろう。

3.日本の対応
    それに対して日本の対応のまずさも事態を長引かせる原因になっている。本来理不尽な内政干渉に対して取るべき態度は「毅然として筋をとおす」
  ことだろう。今までのように衝突を避けなあなあで穏便に処理するという卑屈さがもっともよくない。彼らが理不尽な要求をしてもまったく相手にされ
  ないという状況を作り出す必要がある。
    彼らの願望は理念的に日本を服従させ、民族的上下関係を確立することにある。それは実益というより民族的自尊心を満足させたいという欲求で
  ある。それに対し日本はあくまで「対等」な関係を求めるのは当然であろう。そして彼らの偏狭なナショナリズムが収まり「対等」を受け入れるような時代
  になるまでは「親日友好」は期待せず、各層の交流、共通利益部門での協力など地道な努力を重ねていくよりほかないと思う。
    

 4.歴史認識
    私自身、自国の近代史には疎い。学校でもほとんど習った記憶がない。そのこともあり中、韓の反日に直面すると常に後ろめたい気持ちにもなる。
  よっぽど日本は間違ったことをやってきたのだろうか。なにをどう反省したらいいのか、あるいは反省など必要ないのか。半世紀以上経た現在の中、韓
  の反日は主として彼ら自身に原因があることは前項で述べた。しかし過去の日本の行為が出発点になっていることは間違いないし、将来日本がどう
  すすむべきかのヒントを得るうえでもわれわれ日本人は自国の歴史に無関心であってはならないと思う。
  
    満州事変から1945年の太平洋戦争敗戦にいたる経緯についての認識は政府の公式見解が出されており、日本のアジアに対する侵略行為で多く
  の被害を与えた、という考えである。あれは日本の自衛戦争で、悪くはなかったという人もいるが当時の帝国主義的時代背景を考慮してもそのように
  言うのは無理があり、私は政府の公式見解でいいと思う。当時アジアで欧米列強とともに自国の権益確保を競ったようだが、満州に傀儡政権をつくり、
  万里の長城をこえて中国に攻め込んだのは、時代背景を考えても「悪かった」といえる。米国との戦争もその延長で(仕向けられた面はあるにせよ)
  無謀にはじめた「暴挙」なのは明らかだと思う。中国侵略にしても、対英米戦にしても天皇は消極的だったらしく、反対論もそれなりにあったわけである。
  当時の感覚でも「悪い」「無茶」なことと考えることも可能だった。なぜ避けることが出来なかったのか。そこは専門家に分析してもらうより仕方ない。
  統帥権という制度の問題、軍人によるテロ、それを容認する国民意識、マスコミの無節操、軍人の精神主義、さらにフアシズムなど軍部が暴走する
  状況があったのだろう。軍に対する政治的制御や完全な言論の自由は死活的に重要だ。世論というのは国策を誤らせることもありなかなか難しい。
  マスコミやジャーナリズムのあり方も重要だ。
    太平洋戦争は普通に、また冷静に考えればどうみても「無謀」であった。それを始めて多くの自国民や他民族を傷つけほとんど「日本滅亡」に近い
  結果をもたらした国の指導者は当然非難されるべきで、靖国に英雄として祭られるのはおかしいと思う。中、韓の口出しは余計なことであるが、日本人
  自らがそこはきちんとしなければと思う。死ねば許されるのが日本人の文化だという人がいるが本当だろうか。少なくとも世界では通用しないだろう。
    では日本が「悪」でアメリカは「善」だったという中国などの言い分はどうか。当時侵略されていた中国からみればそのように言いたいだろうが、
  日本対英、米の関係でみればそれは違うと思う。当時は帝国主義列強によるアジアでの覇権争いの流れの中で英、米が日本を封じ込めようとしたの
  であり、日本が英、米本土を侵略したわけではない。戦後アメリカが正義の味方みたいに日本を「悪者」扱いした。極東国際軍事裁判や占領政策で
  ある。同裁判などはひどい内容だ。戦争の罪を裁くとして「平和、人道に対する罪」という事後法を持ち出し、あげくは米国自身の、当時でも国際法違反
  の一般市民の無差別大量殺戮(都市空襲、原爆投下など)は不問に付すという偽善を臆面もなくやった。アメリカの偽善は21世紀の今も健在である。

    中国や韓国は英国の阿片戦争や欧米各国による世界的な侵略や植民地支配には口を閉ざし、日本だけ極悪国だとするのは明らかに「恣意的」だ。
  当時は「植民地化は悪」という倫理観は確立されておらず、より力の論理が支配的であった。近代化の遅れた国を保護し開発する、として欧米各国が
  覇権を競っていた時代である。中、韓の歴史観には「悪の加害国日本」対「善の被害国」という現代の価値観のフイルターがかけられており、客観的
  でない。また欧米より日本に対して、より厳しい見方をするのは日本を低くみる民族意識が働いているからではないか。
    とはいえ客観的にみて中国に対しては当時としても行き過ぎがあったし、また韓国朝鮮、アジア各国に被害を与えたことは日本として反省、謝罪、
  償いをすべきだし戦後それなりに責任を果たしてきたといってよい(戦後補償や各種援助、協力の過小評価や無視もまた反日的中、韓の際立った
  特色である)。また新たに出てきた毒ガス処理問題や個人補償等は誠実に迅速に対応すべきだ。しかし英米にたいして謝罪は不要であるし、非難
  される道理もない。敗戦国としての扱いを粛々として受け、その義務を果たせばよいし、そのようにしてきたはずである。
    戦後の日本はアメリカに対して必要以上に屈従してきたように思う。講和条約成立後も日本はほとんどアメリカの属国状態でやってきた。民族的
  自尊心という「名」よりも経済復興という「実」を得る戦略だったともいえなくもないが「日本は悪かった」という自虐が身についてしまったようでもある。
  この暴君とどう付き合うかも含め戦後60年、そろそろ軌道修正の時期かもしれない。そこで憲法改正の動きである。国家主義的方向にぶれすぎない
  ように注意しつつ、ある程度の軌道修正は必要かもしれない。                                

2007年3月 日本評価とバッシング 

 1.日本の国際貢献
    3月7日付読売新聞(夕刊)「好影響与える国、日本が世界一」という記事が目についた。
   英BBCと米メリーランド大学が世界27カ国を対象に2006年11月〜2007年1月に行った世論調査の結果、英国/カナダ/中国/フランス/インド/
   イラン/イスラエル/日本/北朝鮮/ロシア/米国/ベネズエラ/EU各国それぞれについて世界に「好影響を与えているか」「悪影響を与えているか」を聞
   いた。その結果「好影響」はカナダ、日本がトップ、次いでEU,フランス。「悪影響」がイスラエル、イラン、米国、北朝鮮の順。
    理由は調査内容にはないようだが、非軍事的な国際貢献などが評価されたのではないかという。以前にも別の似たような調査で日本の評価は
   意外と高い。このことは自尊心うんぬんではなく、日本の平和憲法にもとずく国際的行動に自信を持つべきであることを示していると考えたい。日本は
   特に軍事的に米国へ依存しており、その従属関係からの脱却という大きな課題がある。その課題を克服する際にあくまで平和主義を貫くかねばなら
   ない。その基本をおさえて憲法、軍事力、集団的自衛権、国際貢献、日米同盟関係などなどの有り方をどうするのか。素人の私には難し過ぎる問題
   で考えがまとまらないが、米国への軍事協力にははっきり日本の立場をつらぬき、「軍事力による国際貢献」には最大級の歯止めをかけ、あくまで
   平和的な貢献を追及する国であってほしいとは思う。

 2.日本軍の慰安婦問題
    アメリカ下院で太平洋戦争時の日本軍による慰安婦の問題が、女性に対する人身売買や奴隷制という非人道的所業であったとして日本政府に
   謝罪を求める決議案が審議されているという。
    このニュースに接してなにか割り切れない気持ち、そして疑問や怒りを禁じえない。疑問とは1)慰安婦は主に日本人、韓国(朝鮮)人、中国人など
   でありなぜ米国が問題にするのか2)当時における(国際法や国内法の)「違法行為」の事実関係はどうなのか3)極東軍事裁判、日韓条約締結
   交渉、日中国交回復交渉などで問題にならずなぜ今なのか4)日本以外の軍隊には兵士の性処理およびそれに関連した問題行動はなかったのか。
   日本軍だけが問題になるのはなぜか。

    私の少年時代にはアメリカの進駐軍がいて日本女性の「パンパン」と呼ばれる売春婦が大勢いた。東京の下町に住んでいたので須崎などの赤線
   (売春)地域もあった。当時はまだ売春防止法の施行前でいわば公娼制度が健在であった。現在は「売、買春」は公には違法である。しかし、
   太古のむかしから今現在にいたるまで、軍人であろうが船乗りだろうが職業も国も人種も問わず売、買春は健在である。生活が豊かになっても
   無くならない。法律が禁止すれば地下化するだけ。つまり人類にとって非常に根の深い問題である。従って他国のこの種の問題に対する批判には
   偽善のにおいがする。あえて言う。当時日本の軍人が女性を必要とした、つまり慰安婦の存在をもってそれを非難することはできない。ある人との
   議論で、軍が慰安婦を使ったこと、つまり買春は非人道的行為だからきちんと謝罪すべきだという。私はそうは思わない。半世紀以上経た現在の
   価値観で過去を断罪するのは自分が時代を超越した存在=神として振舞うことであり傲慢だ。人間が人間を裁く態度ではない。法にも不遡及原則
   がある。非難するとすれば「強制連行」「奴隷的処遇」など当時でも違法とされたことであろう。その国家意思としての事実関係が問題なのだと思う。

    米下院の議案提出者が日本のTVに出演したのを見たが、強制連行などの違法行為の事実関係を調べた形跡がない。根拠は日本政府が出した
   「河野談話」だという。つまり日本政府が悪かったと認めているではないか、だから「正式」に謝罪すべきだというのである。何だこれは、と思った。
    さて「違法行為」であるが、軍人や官憲などによる強制連行、拘束、無給労務、暴力、人身売買、虐待など当時の法に照らしても違法なことが
   国家の意思として広く行われたかどうか、である。日本国内には多くの慰安婦関連の書物があるが、私の読んだものでは現代史家の秦郁彦氏の
   研究が比較的客観性に優れているように感じた。それによれば局所的な事件では違法行為があったと思われるが、全体としては「戦前の日本に
   定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」。つまり国家意思として広く違法行為が行われたものではないということだ。

    いくつかの当時の写真に写っている慰安婦が栄養状態など兵士よりよく、また彼女等の表情からも「奴隷」という左派の主張に違和感を感じる。
   また報酬、生環率なども兵士よりも随分よい。強制連行を命じた公文書がないが、左派は戦後証拠隠滅をしたか、隠しているという。つまり推定で
   「証拠はあるはず」と決めつけている。逆に陸軍省が中国派遣軍にあてた「軍慰安婦従業婦等募集に関する件」という文書が発見されている。
   これは軍の意向をちらつかせ誘拐に近い方法で集める業者がいるので、取り締まるようにという趣旨である。これは業者による違法行為の存在を
   示唆するが国家意思としてはそれを否定している。左派はこの文書を違法行為があった証拠だという。軍(国家)の需要にもとずいているのだから
   業者がやった違法行為も国家が責任をとるべき、あるいは同罪だという主張であろう。たとえば「宇宙開発」という国家事業に協力する民間企業が
   何らかの違法行為を働いた場合、国も同罪だという考え方と同じだろう。国のチエックという面である種の批判をうけることは有りうるが、責任の主体
   はあくまで業者だ。別のケースでたとえば北朝鮮の他国民拉致に民間人が加担したしたような場合は国家意思が違法であるから国も民間人も同罪
   である。しかるに「国家も同罪」とするのであれば「軍の慰安婦」そのものが違法だという前提にたっているのかもしれない。これは間違った主張だ。

    慰安婦は軍にとって従軍医師や看護婦、慰問団など兵士をケアする人々であり本来的に虐待する動機がない。慰安所の設置や運営に軍が関与
   したようだが、性病予防や慰安婦の待遇保証など円滑な運営を意図したものである。もちろん慰安婦がハッピーだったなどと言うつもりはない。
   「兵士も慰安婦もつらかった」というべきであろう。また局所的に犯罪はありえた。しかしそれらをもって全体が違法だったと規定するのは無理がある。
   もちろん個々の(軍や官憲による)犯罪に対しては事実にもとずき国家賠償等誠実に行うべきは当然だ。

    慰安婦問題は戦後半世紀経て日本人研究者や一部マスコミによって問題提起され虚偽や誤解などもあり「日本軍の悪事」とされ、それが韓国を
   動かし「河野談話」など政府のまずい対応が尾をひいて現在にいたったものと考える。今回の米下院での審議もその背景に中国系米国人などの
   「なんとか日本を懲らしめたい」という「悪意」と、自国の類似の行為に目をつむった偽善を感じざるを得ない。さらに彼らは自国の原爆投下や都市
   空襲による一般市民の大量虐殺という当時の国際法違反にもまったく無関心であるかのようにみえる。

  

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