吉川 靖・「随想」
5.2007年5月 野田弘志展とワイエス展
日本橋高島屋で野田弘志展、そして同じ時に青山ユニマット美術館でアンドリュ・ワイエス展を見ることができた。この両者は共に質の高い具象写実
画の作家である。
1)野田弘志(1936-)
葡萄III(油彩91X73cm、1972年)--漆黒の画面中央に葡萄を載せた岩石。その力強い存在感に圧倒される。一点の曖昧さもなく、完璧に描き
きった達成感が見る者にもつたわってくる。手で周囲をぐるっと触れそうな錯覚を覚える。
きもの(油彩117x91cm、1974年)--座位で正面を向いた女性の頭部がこちらに向かってぬっと迫ってくる。背景はやはり黒一色。硬直した女性の
たたずまいと合いまって緊張感がみなぎる。顔は生身の人間というより写真的な印象を受ける。
THE-6(油彩162X130cm、2003-7年)--壁から数センチ浮かせて張りめぐらされたロープを描いたもの。一見そのような工作物と見まがう。平面
に張り付いた空間がそこにある不思議。これは「だまし絵」そのものだと思った。
THE-2(油彩162x162、1997-2000年)--背景は黒。座位正面の裸婦像。他の裸婦同様品のよい美しい女性を描いているが、さすがリアリスト、
美化せずあくまでリアル。伸ばした足先が生物学的正確さで描かれている。皮膚の下の血管や骨が(そこだけ注目すると)グロテスクである。この点は
好きだ。
天渓・梓川(油彩162x130cm、2002年)--画面右上がりの紅葉した山肌。下部には紺碧の川面。この人の絵にはめずらしく山肌と水面がかみ合って
いない。山が空間に浮かんでいるようだ。この人の風景画は概して硬直した印象で絵葉書写真のようだ。
全体的な印象は完璧な描写技術、物を凝視し集中と執念である種の瞑想空間を作り出す。見る者にもその緊張感が伝わってきて感動と疲労感を与え
る。作者の眼前にある物と空間、その現実世界を画家の手と目ですくい取って画布平面に、しかも堅牢に定着させたい。この西欧油彩の写実精神に
則り現代の日本人としてそれをやりとげたいということなのであろう。背景を黒一色、金箔あるいは白一色に単純化しているのも日本的な感覚であろう。
また背景の下地に板切れを埋め込んだり、漆喰の盛り上げをちりばめたりして画布が平面であることを強調し、平面に三次元空間があることの不思議さ
をアピールするとともに背景も含めて画布全体を強くしたいという意図だろう。
自分も空間を平面に再現したいと思う。それを紙と水絵の具でやろうということである。描写技術は言うに及ばず材料的にも堅牢さは遠く及ばない。
さてそのような絵画がはたして存在する価値があるのだろうか。おそらく私の絵などは世間的にはゴミのようなもの。しかし少なくとも自分自身にとって
表現行為は何らかの意味があるわけで、また絵画の価値も技術や強さだけで決まるとも限らない。西欧の堅牢な石造り建物に対し日本は軽い木造で
ある。彼らの永遠志向に対しこちらは無常観がしっくりくる。すくいとるべき空間も湿気や寂しさを含んだもの。つまり違いがあり、違えば別の価値もある。
野田氏の完璧な技術に打ちのめされて、絵を描く意味を改めて考え自分にこう言い聞かせている。
2)アンドリュ・ワイエス(1917-)
テンペラと水彩あわせて14点くらいか。観客が少なく現物を真近でゆっくり見ることが出来た。ほとんどが風景。人物は横たわる女性像1点。とくに水彩
がどのように描かれているのかに注意を集中した。気ずいた特徴を箇条書きしてみる。
明暗コントラスト--くっきりと暗い部分を必ず配し、明部、中間部と合わせ巧みに構成する。形と色面構成で動きとバランスで画面に生き生きとした
緊張感、生命感が生まれる。この明暗対比は画面の印象をくっきりとさせ見る者にインパクトを与える。
塗りむらによる調子付け--暗部はたびたび絵の具の塗りむらによって変化をつけている。これを可能にするには(ドーサを引くか低吸水性の紙質等で)
紙の吸水性を低く抑えるかあるいは絵の具を付けた筆の水分を少な目にする必要があるだろう。
質感表現--特に明部と暗部の中間部分は物質の肌合い(ざらつき、凹凸など)が目立つところである。そこの表現は引っかき、斑点、かすれ筆、細かい
線描など思いつく限りを、しかも大胆にやっている。画面から離れて見ると見事な質感と独特の静寂を感じるが、真近で見るとその表面は実に荒々しい。
完璧な形とバルール--正確無比な形、明暗の諧調そして色同士の正確な関係性は完璧で非のうちどころがない。
ホワイトの使用--絵の具は透明水彩と思われるが、ホワイトの使用あるいは絵の具の不透明的重ね塗りも行っている。こだわらず自在に、という感じ。
私のように一発で決まらず何度も筆を入れると不透明的な塗りでは収拾がつかなくなる。
画面のゆがみ--紙の表面が大きく波うっている。このことから水張りはしていないようだ。
紙質--表面がつるっとした繊維目のないもの、荒い繊維目が見えるものなど何種類か使っているようだ。
物語性--人物、風景、動物、建物それらの組み合わせ等いづれも物語のワンシーンという印象。挿絵画家であった父親の影響か。
野田氏が集中と執念でたっぷり時間をかけているのと比較すると、ワイエスはあっという間にやっつけるという印象だ。もちろん密度の高いテンペラはそれ
なりに時間はかけているだろう。しかし野田氏の「静」に対しワイエスは「動」、空気が動いてる感じ。