吉川 靖・「随想」

5.2007年8月 憲法改正・是か否か 

 日本国憲法の改正が政治日程に上る日が近ずいている。あと数年でわれわれ各自の決断が迫られる時がくるのは間違いない。日本はこれから先
どのような国として生きていくべきか、やはり気になることであり一個人としても定見を持っておく必要性を感じる。憲法改正の核心はやはり9条、軍事的
スタンスのとりかたであると思うのでこの点を中心に自分の考えを練っておきたい。

1)憲法9条とは
 第9条
  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する
 手段としては、永久にこれを放棄する。
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  このような条文になっている。日本の軍事的脅威を消し去るという意図のもとに戦後米占領軍の指導下でつくられたということだ。昭和20年代だったと
 思うが当時の吉田茂首相が「これは自衛のための戦争も放棄したものだ」という国会答弁をしていたのを記憶している。彼の言葉でいまひとつ記憶にある
 のは「貧乏追放」。とにかく破綻国家を建て直すことが最優先で、防衛とか軍事とかあるいは国際貢献とか考える余裕はまったくなかった。そのような状況
 で生まれ、また国民も納得していた。
  これは一切武装しない「丸腰」国家構想であり、理想主義的で非現実的なものといえるが、米国の保護下にあった破綻国家という状況で成立したものだ。
 これが非現実的であり(米国の十全な保護が保証されない)独立国家としてはこのままではやっていけないということがすぐに露見した。米国とソ連の
 対立、朝鮮戦争など緊迫した状況が生まれ米国から日本に対し「再軍備」の要求がでてきたのだ。その結果うまれたのが現在の自衛隊だ。丸腰国家が
 丸腰ではいられない。そこで丸腰憲法を解釈で読み替えるという苦肉策を積み重ね現在に至っている。

2)護憲論
  社会党、共産党などの左翼政治家は9条堅持という立場である。反米なのに米国による憲法護持という疑問はさておき、9条が平和維持に有効であり、
 その変更は戦争を起こすことにつながる、ということであろう。自衛隊反対、安保反対といってきた。では丸腰国家でいいのかというとそうでもない。私の
 記憶では社会党は非武装中立論であったが、非武装とは丸腰ではなく(名称はうろ覚えだが)国土警備隊のような非軍事組織をもつということだったと
 思う。共産党は防衛組織についてはあいまいで、国民の総意により防衛軍を考慮するといったような主張だったと思う。いずれにしても9条堅持といいなが
 ら丸腰でいくとは言わない。それが非現実的で説得力をもたないことは承知している。
  私に言わせれば解釈改憲で自衛隊をもつ現状と(口では批判するが)本質は大差ない。真に9条堅持なら「丸腰」でやっていける説得力のある構想を
 提示すべきであろう。そうでなければ「護憲」などと主張する資格はない。9条があったから平和が維持されたなどという人がいるが、現実は米国の保護、
 つまり安保条約と自衛隊で曲がりなりにも今日まできた、ということである。つまり軽武装と他国による保護で保たれた平和であり、自立した独立国家が
 自力でしかも「丸腰」でやってきたわけではない。9条の具現ではないのだ。

3)改憲論
  話の流れで私が改憲が必要だと考えていることは明らかだが、改めてその理由を記すと、9条は理想ではあるが現実的ではない。解釈改憲は時の
 権力者がかってに決めることであり、「権力者のタガ」としての憲法が骨抜きになる危険がある。また憲法は現実との乖離を容認する「理想」であっては
 ならない。政府の施策と憲法の不一致は国民によって常に監視されるべきものだから。さらに、特に安全保障や外交の面で日本は米国の属国状態に
 あり現憲法がその元凶となっている。したがって日本の自立には改憲が必要だと考える。
  ではどのように改正すべきか。具体的な文面は別にして、国家理念としてどうあるべきか考えてみたい。

4)現状の問題点
  丸腰憲法はアメリカの保護(安保条約)を固定化し、沖縄を筆頭に全国に米軍が配備され領土や領空の使用、自衛隊との共同作戦の指揮権、米兵
 犯罪の裁判権等々の主権制限、費用負担など属国状態を現出させた。外交的にも日本の独自性は制約され米国に従属してきた。その米国追随ぶりは
 世界中から冷ややかに見られている。また国際的な貢献は欧米諸国とかなり異質なもので、その象徴は湾岸戦争だ。他国が血をながす危険を負って
 貢献をする中、対応にもたつき、あげくは「カネ」で済ませ、それが巨額であったにもかかわらずほとんど感謝されなかった。
  「外交は米国追随、国際貢献はカネだけ」というイメージが世界的に定着していた感があるが、国際貢献については非軍事分野に限定はされるものの
 人的貢献もふくめ多様で地道な努力がなされ、徐々に実績をつんできているようではあるがまだ充分とは言えまい。
  また自衛隊の国際貢献活動では(憲法の制約で)他国軍に護衛してもらうようなことになっている。せめて自己防衛は自らが出来るようにすべきだ。
  戦後体制のなかで自国を守るという気概と力が弱かった。その結果国益が損なわれてきたのも事実である。とくに中国、朝鮮、ロシアなどから足元を
 見られ領空、領海侵犯は日常茶飯事、竹島占拠、金大中事件、拉致事件、北方領土および領海での拿捕事件、東南海油田問題、国内でのスパイ活動
 等々日本の主権が日常的に損なわれてきた。

5)米国追随はなぜ問題か
  他国から軽蔑されるというプライドだけの問題か。私のような素人にはよくわからないが、国益を追求する国際外交のいろいろな局面で「まともに
 相手にされない」ようなことがあるのではないか。最近の「国連常任理事国」問題のつまずきなどは好例だろう。さらに一番心配なのは今回のイラク戦争
 のようなケースだ。米国は傲慢で好戦的な面があり多くの国からうとまれている。その尻馬にのって「過ちを犯す」こと。彼の国の傲慢と武力信奉は
 生来のものとでもいうべきで、アメリカ大陸の制覇(原住民の虐殺)、武器社会、日本開国(砲艦外交)、太平洋戦争での戦犯裁判、中東戦争での二重
 基準、ベトナム戦争、アフガン、イラク・・・等々自国の価値観を正義とし他を悪と決め付けて力ずくで通す。テロの標的になるのもこの傲慢と好戦性に
 原因があるかもしれない。そしてその武力ではうまくいかないこともけっこう多い。ベトナムや中東紛争を見てもまた対テロ戦争をみてもそうだ。でも懲り
 ない。だが一方で優れた面も多々あるのも事実だ。このような国とはある程度距離をおいて是々非々で付き合う必要がある。

6)国際貢献について
  この問題を総合的に論ずるような知見はないが、素人が考えても分かることはある。先の湾岸戦争ではクエートがイラクの侵略をうけ、国連が動いた。
 多国籍軍が組織されイラクを排除したわけだ。現在完璧に自力で自国を防衛できる国は米国だけだと言われる。つまり他国の侵略を排除するには国連
 や地域安保機構などを通じて他国の援助を期待するか、あるいは強大な軍事同盟国(米国)に頼ることになる。日本の安全保障を考え、かつ米国から
 自立するには国際社会の協力が必要になる。日本が世界から評価される国際貢献を積み重ねる意義はここにある。カネだけではない、しかも非軍事的
 な貢献こそ現憲法の理念に沿うものではないか。非軍事のみでは評価されないと考える人もいるが、私はそんなことはないと思っている。ただここは
 微妙な点もあるので「軍事的には(ゼロではない)非常に抑制的な貢献のありかた」を追求すべき、としておきたい。

7)「普通の国」論
  日本のあるべき姿として「普通の国」論というのがある。この場合の普通とは、欧米の民主主義国がイメージされる。つまり軍隊をもち軍事的な国際
 貢献もする。日本も普通でいいじゃないか、というわけだ。普通ならいいか、とも思うがそれは日本人的「横並び」意識とも言える。では逆に「独特」でも
 いいじゃないか、ということにもなる。つまり「普通」でなければならないというのは本質論にはならない。

8)新憲法はどうあるべきか
  戦後体制の問題点を克服しこれからの国際貢献のありかたを明確にすべく憲法を改正する必要がある。その要点は以下のとおり。
  ・一項の平和主義は維持する。
  ・自衛隊を自衛軍として位置ずける。戦前の天皇の軍隊ではなく国民を守る軍隊として、文民統制さらには常に必要最小限度の防衛力を目指す防御
   的軍隊という軍の性格を規定する。軍隊はとかく自己増殖する危険があるので兵力、装備、費用など少ないほど評価されるという価値観を確立する。
   非軍事組織としての現状の自衛隊では諸々の憲法的制約で米軍にかわり日本防衛で主導権をとるのは難しいものと思われるので。
  ・国際貢献における日本軍は実力行使には非常に抑制的に振舞う。これは基本的に軍事力では根本的な解決は出来ない。急迫、不正な攻撃から
   自己を守ることに限定する、という理念でこれを行う。この点欧米的な「力による解決」の理念とは一線を画す。
  ・集団的自衛は共同行動している他国に対し必要最小の範囲でこれを行う。もし見てみぬふりをすれば信頼を失うような場合日本の責任をきちんと
   果たす。でも過度な行動はつつしむということ。微妙で難しい点が多々あるとは思うが、最善のありかたを試行錯誤で確立していくほかない。

9)日米同盟
   冷戦後の国際紛争の様態は昔とは随分変わってきているといわれる。確かに民族紛争やテロが多く国家間の戦争は少ない。だからといって各国家
  が伝統的な軍事力を必要としなくなったともいえない。日本を取り巻く状況も大国主義的中国とロシアあるいは潜在的に敵意を持つ韓国朝鮮などとの
  間には領土問題や利害がからむ問題をかかえている。もちろん対決ではなく相互信頼を構築する努力が基本だが日本が文字通り「丸腰」になることは
  かえって危険で不安定な状況を生む。日本がしっかりした自衛力をもち、さらに米国との強い協力関係(従属とは違う)を維持することは依然として必要
  だと思う。アジアの安定という観点からは米国だけでなくオーストラリアやインドやASEANなどとの同盟も考える必要があるのかもしれない。半世紀前の
  侵略国家日本のイメージは少なくともこれらの国ではかなり改善されつつあるのではないか。その辺はどう考えればよいか。本来であれば改憲とセットで
  日本自身による「戦争責任」の総括を行うことで米国からの自立が円滑に出来るのかもしれない。

  

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