吉川 靖・「随想」

9.2011年3月 震災革命 

  3.11東北関東大震災は歴史的事件であろう。阪神淡路をはるかに超える文字通り大震災となった。津波の規模は1000年、被災者規模は100年
 ぶりだという。また過去の震災と決定的に違う点は原発災害が加わったことだ。原発もまだ予断をゆるさない厳しい状況にあるが、いずれ復興という
 ことになっていくわけだが、震災前後で日本のありかたを変えざるを得ないのではないか。そんな予感がする。それ程大きな出来事だと思う。

1)原発の将来
  何が起こってもまず大丈夫だという電力会社やエネルギー行政に携わる国が説明してきた原発が、いま環境に放射性物質を撒き散らしている。
 懸命の封じ込め作戦を展開しているが、農作物や飲料水などにも影響が出ている。いずれ何らかのかたちで収束するだろうが、人々にあたえた
 不信感はもとにはもどらない。福島第一原発の復興はもとより新たな原発の建設はほぼ不可能になったといえよう。
 
2)電気をどうするか
  現在計画停電が行われている。停電という事態は本当に久し振りだ。今40代、50代以下のひとで停電を経験したひとは少ないのではないか。それ
 くらい電気は空気のように、あってあたりまえというのがつい先日までのことだった。安定供給だけでなく電気によってさらに生活を快適に、また便利
 にすることが推し進められてきた。そのために原発は必要だとされてきた。
  震災には関係なく地球温暖化が徐々に差し迫った問題として我々の意識に浸透しつつあった。その対策の柱として原発推進が必要とされてきた。
 そこに今回の事態である。つまり原発が否定される情勢となったわけである。温暖化対策は必要だ、でも原発はだめ。ではどうするか。
  そうなると当然太陽光、風力、浪力、地熱等々の自然エネルギーということになる。しかしコスト的、技術的問題でまだまだ主力にはなりえない。

4)生活スタイル
  結局は我々の生活を見直しエネルギー需要を下げるよりほかないと思う。原発以外のクリーンエネルギーの供給が増えればその範囲で需要も
 増やせるようになるが、今までのように使いたい放題の生活はあきらめるほかないだろう。企業活動も見直しを迫られる。とりあえず考えられること
 は一般家庭については太陽光発電の設備を劇的に増やすことだ。復興財源も含め増税し国が大幅な助成金を出すようにする。照明はすべてLED
 に置き換える。明るい時に活動し暗くなったら休むという習慣を復活させる。健康にもよい。家庭電化はすべて見直し、あれば便利だがなくとも
 なんとかなる、あるいはかえって人間を強くするものもあるだろう。より便利に、より快適にと電化を推進してきた。それが人間の弱体化につながって
 いるという面もある。とくに日本は原発の数が米、仏についで世界3位だという。諸外国にくらべ電気の使いすぎ状態にあるのではないか。
  24時間営業や広告照明、エスカレータ、自動ドアー、自販機なども必要最小限にする。電車も減らす。ナイターゲームもいらない。それにしても
 コンビ二、ドラッグストア、デパート、スーパーなど多くの店舗の明るいこと。あれは必要性よりイメージのためだろう。そういうものをすべて見直す。
  今現在でも計画停電をしなくても済む日がけっこうある。もうすこし削減努力をすれば1年を通じて間に合う訳で、不可能ではないと思う。
  温暖化対策もふくめ生活スタイルを改めるいい機会だ。

5)日本人の民族性
  今回の惨事にあたって日本人のとっている行動が世界的にみて顕著な特徴があるという。われわれにはあたりまえにしか見えないが、欧米の
 メデイアが「驚異的」として論評しているそうだ。それは極限状態にありながら秩序を保ち互いに助けあっていることだ。暴動などまったくないうえ
 火事場泥棒的犯罪も(散発的にはあるだろうが)報道されるようなめだったものがない。また日本全国から多くの援助が次々ときている。これらは
 肯定的に評価されるだろう。「和」を好む民族性のあらわれではないか。しかしこれは反面、対外的な問題では対決を避けあいまいに処理しようと
 してかえって状況を悪化させることも過去にはいろいろあった。
  戦後の復興ではやはり世界の驚異を呼び起こした。今回の復興についても日本人は力を発揮するのではないか。しかし将来を見越した災害や
 エネルギー問題をふまえた国づくりの青写真が引けるか、そしてそれを実行する強力な政治的リーダーシップが発揮できるかがネックになる。
 この論理的作業と強いリーダーの存在が日本の弱点だと思うから。

6)世界各国の援助
  今回の惨事に対する各国の援助には目を見張るものがある。その数は米国をはじめ150ヶ国ぐらいにのぼるのではないか。その中には日本より
 貧しく余裕のない国が相当数にのぼるはずだ。これはいったいなにを意味するのか。各国にはそれぞれいろいろな思惑があるだろう。過去に問題
 をかかえた中国、韓国あるいはロシアなども含まれる。中国の事情はよく分からないが韓国などは国民世論が支持しているようだ。反日感情が
 なかなか癒えないと言はれるお国柄である。まあ国際貢献で実をあげるという計算もあろが、若干の驚きであった。
  「日本には友人がいない」と言った評論家(?)がいたように記憶する。国際的な世論調査で意外に日本の評価が高いという話もあった。国内では
 問題点ばかりが指摘され自虐的な自国評価が一般的であるが、戦後の日本の国際的な活動は案外評価されているのかもしれない。
  なかでも米国の肩入れはただ事ではない。これも米国にとっての世界戦略上の日本の重要性があらためて示されたものであろう。

7)政治的情勢
  震災前は菅政権の支持率が低下しつづけ衆議院解散が取りざたされる情勢だった。しかし状況が一夜にして変化した。政治家どうしがいがみ
 あっている場合じゃないという空気に変わった。自民党も民主党いじめに専念できなくなった。かといって政権に肩入れしたり、交代したりして「へた」
 をすると震災対応の責任を自からかぶりかねない。いじめもだめ、肩入れも危うい。どう立ち回るのが一番得か。そんな風にみえる。国家のためと
 いう志がみえない。他の野党も似たようなものだ。政権と一定の距離をとって「いい子」ぶるのではないか。
  だいたい原発問題では民主党より自民党の責任が重い。自民党もそのことは充分承知しているはずだ。へたに民主党をつつくと自分に火の粉が
 ふりかかってくる。自民も自ら泥をかぶるつもりで国家のために行動することが今求められている。でもそれが出来るようにはどうしても思えない。
  菅内閣は頼りないが与野党がバックアップしてこの難局を乗り切ってほしい、というのがいま世論の趨勢だと思う。しかし統一地方選挙がひかえて
 おり民主党の凋落傾向から厳しい結果が予想される。そうするとまた政局がらみの動きがでてきて、それが復興対策にも影響がでてくる心配がある。
  ふたたび目先のことや、自己保身に汲々とする日本の政治家のすがたを目の当たりにすることになるのだろうか。
                                                                                おわり 


 

  

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