(作者略歴)に戻る           吉川 靖・絵画作品-「絵のこと」(続き)

8.絵画の幻視と平面化 (2010.10.14)

1)幻視(イリュージョン)
  具象絵画は一般的には外界の事物から得た印象を、その事物を描画材で平面に再現することをとおして表現します。その際重要
 なのは現実感(リアリテイ)だと思います。高橋由一が西洋画をみてその迫真性に度肝をぬかれ、そのとりこになったといいます。
 平面なのに奥行きがある。ただの絵の具なのに水にみえる。あるいは人間が生きずいている。ただの平面物の表面に我々が生きて
 いる現実の世界(の一部)がそこにある(ように見える)。その「現実感」の現出という不思議さが絵画の魅力の原点であり、時代に
 よって別の要素が加わったとしても、この「幻視効果」の価値は永久に不滅でしょう。本物そっくりがいいと言っているのではありません。
 それはそれでいいのですが、要は「幻視(イリュージョン)」に人の心を揺り動かす力があり、それは表現行為のなかで非常に重要だと
 いうことです。
  さらに形、色、明暗、線、タッチなどの視覚効果は単なる絵の具という物質を超えて奥行きや動きや緊張感など現実世界を想起させる
 要素をもたらします。これも重要な幻視であり、具象画だけでなく多くの抽象絵画でも重要な役割をはたしています。現代絵画の一部
 には絵画の本質は平面であり、幻視は否定されるべきだ、あるいはなくとも絵画は成立するという考えかたもあります。それはそれで
 絵画研究のテーマにはなるでしょうが、重箱のすみ的なものに思えます。
  現実感の表出は絵を描く者にとって基礎力であり、物や風景や人物をまえに目と技を磨きます。もちろんほとんど何の訓練もなしに
 でも絵を描くことは出来ます。その最たるものは児童画でしょう。その形や色や線は奔放で力強く大人を感動させます。当の子供は
 稚拙なかたちではあってもそこに恐竜や虫や人間が出来たという幻視を喜び、大人は自分たちが失った子供特有のこだわりのない
 自由気ままな精神が表れていることに驚きます。さらに成人初心者の絵にもそれなりの人間性の表出があり、その意味で価値がある
 でしょう。しかし芸術的表現としての絵画はより深いものが求められます。その場合の基礎になるのが対象を現実感をもって表現する
 感覚と技術です。人物画でいえば人体各部を立体的に捉えそれらが的確に組み合わされて全体として人がそこに存在している、さらに
 言えばその姿勢や表情などから内面的なものまで感じられるようにする。そのことを通じて作者が対象に感じたことを現実感をもって
 表現できるわけです。

2)平面化
   西洋では対象を迫真的に表現する技術が発達しました。明暗法や遠近法などを駆使して空間、量感、質感などを捉えあたかも
 そこに現実の一部があるように幻視が完成されています。別の言い方をすれば画面が平面物であることを見る者に感じさせないよう
 に最大の努力が払われたともいえます。それが近代になると平面であることを隠さないように変わってきます。その顕著な証拠は
 タッチであり線であり自由な色でありデフオルメなど対象とは違う、あるいは対象にはない要素です。そんなものが画面にあればそこが
 現実界にはない平面上の絵の具による現象であることがバレてしまいます。なぜそんなことをするようになったのか。この平面化を
 意識的、論理的に実践したのがセザンヌです。彼の後期の絵を見ると画面上の形、線、色、明暗などが意志的に構築され、その
 動きとバランスなどの効果により生きいきとした緊張感がみなぎり、空間や光とあいまって強い現実感が表現されています。これは
 古典絵画とはちがった、より明るく現世的な世界です。では幻視効果はどうなったのか。平面化をあからさまにすることでその効果は
 損なわれたのかというと、むしろ強まったのではないかとさえ思います。なぜなら見る人は平面を意識させられ、なおかつそこに奥行き
 や生命感などの幻視をみるときより強い驚きがあるからです。

 そんな訳で幻視効果と平面化を再認識し、自分なりの描写と造形のバランスを追及していきたいと考えています。

9.水彩画のありかた (2011.6.9)

1)油彩画との対比
  浅井忠、石井伯亭など初期の作家は透明感のあるみずみずしい小品を水彩で描いた。時代が進むにつれ会場で油彩画と比較して
 鑑賞されるようになると大きさ、強さ、深みなど迫力で劣ると考えられるようになる。そこで中西利雄などが不透明水彩で絵の具の
 体質を生かし、簡略化された大胆なかたちで強い印象をあたえる作風を生み出す。不破章などは透明水彩でも同様の強さを出せる
 ことを示した。現代はアクリルなどで油彩と同じようなマチエルをつくる人も多くなった。

2)水彩画のありかた
  このような状況で水彩画を追求するひとりとして自分はどのようなスタンスをとるべきか考える。これは個人的な好みの要素があり
 「正解」があるとは思えないが、アクリルで油彩的表現をする行き方はしたくない。水を使える利点はあるが油彩の二番煎じに思える。
 水彩は即興性にこそ特徴があり、素描やデッサンに近い「作者のなまの感情を表出する」という魅力がある。油彩はどちらかというと
 時間をかけて自己を追求する要素が強い。
  あまり時間をかけずにその場で得た感興を生々しくリアルに、作者の気持ちが直に伝わるような絵が油彩とは違った水彩の醍醐味で
 はないか。一定の強さは構成や深みのある色面、メリハリのきいた表現で出せることは多くの作家が証明している。透明感や流動性
 については油彩のそれとは異なる魅力があり大切にしたい。
  水彩を描く人間は「油彩との比較」を気にするが、油彩画家には水彩と張り合う意識はまずない。油彩より低く見られがちな水彩画家
 のコンプレックスかもしれない。見る人に「水彩には油彩にない魅力がある。油彩には油彩のよさがある。どちらもいい、優劣つけ
 かねる」といわせるようにしたいものだ。
 


 通信欄 2013.8.22付でこのHPにコメントを寄せていただいたNさん(40代男性)へ

      
  コメントありがとうございました。ブログというものに無案内なものですからどのように返信すればいいのか分からず、HP上でこんなかたち
 で失礼します。

  水彩は最近始められたとのこと。私は50歳を過ぎてからですので若さのある貴君がうらやましいです。私は自分の非力さを噛み締めながら
 苦楽ないまぜの日々を送っております。まあ「楽しい」あるいは「生きがい」といってもいいです。したがって貴君には自信をもってこの道に
 精進することをお勧めできます。世の中には才能豊かな方が「ごまん」といます。負けたくはありませんが、張り合ってもかないっこありません。
 これが現実です。でも生きがいは得られます。自分なりに納得のいくものを何とかしたい、ということです。お互い頑張りましょう。
  




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